日本の宗教のいろは

日本の仏教に関係の深い人物⑩

 今回は一遍(いっぺん)についてお話をします。
一遍は、一二三九(延応元)年、伊予国(現在の愛媛県)の豪族の第二子として生まました。十歳で出家し、その後大宰府に移って、法然の門下、証空(しょうくう)の弟子にあたる聖達(しょうたつ)の下で浄土宗西山流を学びました。
その後、各地で修業したあと熊野本宮大社で阿弥陀如来の「※一」垂迹身(すいじゃくしん)であるとされる熊野権現から「民衆が浄土に往生するために、信、不信に関わらず、善悪を問わず、浄、不浄を問わず、六字名号を記した念仏札を配るように」との夢告を受けたと言われています。その後、一遍はひとつの寺院にとどまることなく、五十一歳で亡くなるまで、十六年にもわたり「※二」念仏賦算(ねんぶつふさん)を続けたということです。その札には「南無阿弥陀仏 決定往生 六十万人」と書かれています。今でも、時宗の総本山、神奈川県藤沢市にある遊行寺では賦算が続けられています。
また、一遍は民衆への教えを広めるために「踊り念仏」を取り入れました。これは、尊敬していた阿弥陀聖(ひじり)と呼ばれた「空也(くうや)」にならったものと言われ、民衆がありのままで救われることを表現して踊ったもので、民衆の間におおいに広まったと言われています。現在、各地で行われている盆踊りは、これを起源とし、盂蘭盆(うらぼん)の行事と結びついて続いていると言われています。
一遍は時宗の宗祖と言われていますが、一遍には開宗の意志はなかったと言われ、一遍の死後に他阿(たあ)が自然解散していた「※三」時衆(じしゅう)をまとめて、時宗を起こしたと言われています。そして、時宗の教えを簡単に表すと、阿弥陀仏を信じる、信じないに関わらず、念仏さえ唱えれば往生できると説いたもの。阿弥陀如来の本願力は絶対であることから、信じない者も救われるという考え方です。
※一…仮の姿で現れた神のこと。
※二…南無阿弥陀仏と書かれた六字名号を配ること。
※三…時宗の成員も教団も寛永十年まではこの文字だったと言われています。つづく
グラコム2014年6月号掲載

  2014/05/26   gracom
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