日本の宗教のいろは

日本の仏教に関係の深い人物⑥

 今回は源信(げんしん)についてお話をします。
源信は、大和国(現在の奈良県)生まれ、父を早くに亡くし、母親の意向もあって、比叡山に入山し、比叡山の中興の祖と呼ばれる良源のもとで天台宗を学んだ。恵心僧都(えしんそうず)とも呼ばれています。
源信は、若くして村上天皇から法華八講(※一)の講師の一人に選ばれ、褒美の品を下賜された。それを母に喜んでもらおうと報告するが、母からは「世俗の名誉を喜ぶのではなく、真に仏の教えを人々に伝える尊い僧侶になって欲しい。」と諭されたと言われています。和歌には以下のように残されています。
『後の世を渡す橋とぞ思ひしに 世渡る僧となるぞ悲しき まことの求道者となり給へ』
このことで、源信は大いに反省し、延暦寺横川(よかわ)にある恵心院に隠棲(いんせい)し、修行を続けた。そこで『往生要集(おうじょうようしゅう)』をまとめ上げました。極楽浄土に関する重要な文章を集め、問答形式で書き記した書であり、当時の人々に多大な影響を与えた。極楽浄土に往生するためには、一心に念仏を唱える以外に方法はないと説き、浄土教の礎を気付いたとも言われている。後世の法然や親鸞にも大きく影響を与えた書として有名です。
六道(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天人)がどのようなものか、から始まり、極楽浄土や大切な行いとは何かを説いている。また、念仏については、修行の方法やその功徳、特定の念仏、その包容性などを説き、何よりも念仏が大切であるということを3巻10章から説明した書です。
源信は七十代半ばでこの世を去ったが、自身が説いたように、臨終の際は阿弥陀如来像の手に結んだ糸を自身の手にし、合掌しながら入滅したと伝えられています。
※一…法華八講とは法華経8巻を1巻ずつ講説し讃える法会。つづく
グラコム2013年10月号掲載

  2013/09/25   gracom
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