日本の宗教のいろは

お香の歴史

今回は、仏教と大変関係が深く、その伝来とともに伝わったと言われています「お香」について、その歴史を少しではありますがひも解いてみましょう。
「日本書紀」には、595年淡路島に香木が漂着したと記されていいますが、その50年ほど前に百済(くだら)から日本に仏教が伝えられたときに香木も仏像や経典とともに初めてもたらもたらされたのではないかと考えられています。この頃は、お香はおもに仏のための供香(そなえこう)として使われていました。
その後、奈良時代後期には、仏のための供香としてだけではなく、貴族たちによって住居に香を薫く(たく)習慣が生まれました。
これは「空薫(そらだき)」と呼ばれ、仏の香と区別して薫物(たきもの)が用いられました。薫物とは種々の漢薬香料の粉末を複雑に調合し、蜂蜜や甘葛(あまづら)などで丸薬状に練り合わせたもの。これが平安貴族たちの嗜み(たしなみ)として衣装にも薫かれるようになっていきました。その後鎌倉時代になって武士が台頭してくると、積極的な大陸との交易によって、香木が豊富に入手できるようになると薫物ではなく、ひとつひとつの木の香りを聞くことが流行しました。それが、それぞれの味わいの違う香りを愉しみ、その異同を当てるという競技「組香(くみこう)」と呼ばれるものに発展しました。
そして、香を聞くための形式や様式が整えられ、香は芸道として発展していきました。江戸時代になると経済力を持った町人にも香が広がり、庶民が日常に使う袖香炉や香枕など、身だしなみとしての香道具もさまざまに工夫されました。そして、香を鑑賞するための種々の作法が整えられ、遊戯の香が「道」として確率されていきます。
明治維新で一次的に、徹底的な西洋化が推し進められた結果として茶や香は衰退しましたが、欧米人による和文化の発見とあいまって改めて日本の伝統文化への見直し機運が高まり、茶や香は「芸道」として大成していきました。そして現在、「におい」という嗅覚情報は抽象的できわめて曖昧でありますが、その曖昧性に今また関心が寄せられ、日本古来の「香」が見直されてきています。
グラコム2005年1月号掲載

  2004/12/29   M I
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