日本の宗教のいろは

真言宗の宗祖「空海(くうかい)」

今回から各宗派の宗祖についてのお話をいたします。初回は「空海」です。
空海は宝亀五(七七四)年讃岐国多度(香川県善通寺市)に生まれ、その後さまざまな学問を学びましたが飽き足らず、仏門に志しました。四国の阿波の大龍ヶ嶽や土佐の室戸岬で厳しい修行に打ち込み、また奈良の諸寺で仏教を学びました。延暦一六(七九七)年には『三教指帰(さんごうしいき)』を著し、儒・仏・道の三教の優劣を論じています。
その後、延暦二三(八〇四)年、苦難の末、留学僧として唐(中国)に渡り、当時の都・長安(今の西安)の青龍寺の恵果(けいか)に学び、金剛・胎蔵・伝法の灌頂(かんじょう)を受け、秘法を授かり、密教のすべてを学びました。このときに授けられた灌頂が「遍照金剛(へんじょうこんごう)」(大日如来の蜜号)です。(お唱えに出てきますよね、「南無大師遍照金剛…」って。これは、皆様もよく知っていると思います。)
大同元(八〇六)年に帰国し、中国密教を日本に伝え、さらに独自の考え方を進めて真言宗を開き、多くの弟子を育てるとともに、日本最初の大学「綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)」を創設して一般の教育にも努めました。
真言宗は釈尊や諸仏によって説き顕された顕教(けんきょう)ではなく、永遠不変の全宇宙そのものである大日如来(だいにちにょらい)の説いた奥深い教え、密教をもっとも優れたものであるとします。印を結び(身密)、真言を唱え(口密)、仏を念じる(意密)という三密修行によって、仏と一体になることができるという教えなのです。
空海はその後も幅広い活動を展開し、承知二(八三五)年、六十二歳で高野山に寂しましたが、のちに醍醐天皇から弘法大師という諡号(しごう)を下賜され、今日まで広く宗派を超えてさまざまな形で信仰を集めています。 北見市で真言宗のお寺というと、真言宗智山派の真隆寺があります。
グラコム2005年2月号掲載

  2005/01/26   M I
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