今回は鑑真(がんじん)についてお話をします。
鑑真は、日本の南都六宗の一つである律宗の開祖。生まれは唐の陽州。十四歳で智満について得度し、陽州の大雲寺で修行を積んだ。その後、長安で律宗・天台宗を学び、陽州の大明寺にもどり住職として研鑚を積み、名僧としての評価を受けていました。
その頃日本は奈良時代。僧侶には免税の特権があり、税を逃れるために正式な授戒を経ずに僧尼として振る舞う者が増えていたそうです。そのころから戒律の重要性が大きく認識され、また正式な授戒制度が整備されていなかったことから、唐にその僧を求めて遣唐使の一員として栄叡(ようえい)、普照(ふしょう)などが僧を探すために唐へ渡った。そこで鑑真に会い、弟子を日本に送ってもらえるように依頼したが、本人がその意に答え来日することを決意しました。
しかし、鑑真の来日には、僧の密告、弟子の妨害、許可が出ない等の問題や、出航しても違う地に漂着、栄叡の死、自身の失明などの多くの困難があったといいます。それを乗り越えて六度目で何とか日本に来日。その翌年、上京して聖武上皇の歓待を受けました。
その後、当時の孝謙天皇の詔により、戒壇(戒律を授かるための場所)の設立と授戒についての一任をもらい、天下の三戒壇と呼ばれる東大寺、大宰府の観世音寺、栃木県の薬師寺に戒壇を築いた。上京した年に上皇など数百人に授戒し、当時の仏教界の戒律は守られるようになりました。
その後、新田部親王の旧宅地後を朝廷から譲り受け、唐招提寺を創建したが、その四年後に亡くなった。奈良の唐招提寺は現在、律宗の大本山であると共に世界遺産として登録されている。御影堂には、国宝である鑑真の彫像があり、現存する最古の肖像彫刻であるとされています。
また鑑真は、戒律だけではなく彫刻や薬草の造詣が深く、これらの知識も日本に伝えられました。つづく
グラコム2013年3月号掲載