日本の宗教のいろは

日本の仏教に関係の深い人物②

 今回は行基(ぎょうき)についてお話をします。
聖徳太子が仏教の興隆に力を注いだ結果、仏教思想により国家を護持する国家建設が本格化しました。朝廷は大宝律令の一つに、僧侶を統制する「僧尼令(そうにりょう)」を出し、僧侶になるには天皇の許可が必要になったのです。そして僧侶は、鎮護国家のための仕事を任されるようになりました。反面、許可を得ない私度僧(しどそう)も活躍して、民衆の間に仏教信仰を浸透させていきました。その私度僧の中でも、行基(ぎょうき)という僧は、忘れてはならない存在であると思っています。
行基は、法相宗(ほっそうしゅう)の開祖である道昭(どうしょう)のもとで出家し、その後は僧院にとどまり学問に専念することではなく、民衆への布教活動を精力的に行う道を選びました。そして、私度僧として貧民救済や土木事業などにめざましい活動を行い、民衆から大いなる尊崇を集めていたと言われています。しかし、国家で統制されていない僧の活動ですから、その活動は度々弾圧されましたが、行基が行っていた社会基盤整備や民衆からの人気が無視できないなどの理由で国家はそれを利用するようになったようです。特に、「三世一身の法(懇田の奨励のために期限を区切って土地の所有を許可したこと)」の施行後は、行基を土木事業の責任者に任命したり、東大寺大仏建立の責任者を任命したりしました。その後、功績を認められ、僧侶の位で一番上位に位置し、日本で初となる「大僧正(だいそうじょう)」の位が朝廷より贈られました。
行基は、民衆のための布施屋をはじめとする多岐にわたる社会事業や多くの寺院の建立など、民衆の救済を大きな目的として、自身を犠牲にしてまでも民衆に尽くした生涯は、菩薩(ぼさつ)とも言われ、のちに「利他行(りたぎょう)」(他者を救済しようとする行いのこと)に努める僧の模範にされたと言われています。つづく
グラコム2013年1月号掲載

  2012/12/25   gracom
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