日本の宗教のいろは

お経の成り立ち②

 前回に引き続きお経についてお話します。
現存する最古の経典はパーリ語の「ニカーヤ」と呼ばれるものだというお話をしました。この中に収められている経典に「経集(きょうしゅう)・スッタニパータ」があります。まだ出家者が、僧院等に定住せず、質素な生活を送っていた頃の様子が描かれています。これは、釈尊と弟子たちの会話で綴られた七十程度の小さな経を集めたのもで、言葉も以下の例のように素朴で簡素に書かれています。
「目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生けとし生けるものは、幸せであれ。」(中村元訳「ブッダのことば」より)
しかしながら、簡素がゆえに釈尊の直接の言葉に近いとされ、仏教の思想や初期の教団の状況などを伝えている重要な経典と言われています。
また、「経集」とともに最古の経典と言われ、広く親しまれているものがあります。それは、「法句集(ほっくぎょう)ダンマパダ」と言われるものです。釈尊の教えには、縁起(えんぎ)・四諦(したい)・八正道(はっしょうどう)・四法印(しほういん)などの仏教の本当に基本となる考え方がありますが、その内容について、たとえ話を用いながらわかりやすい言葉で書かれています。
パーリ語の原典をはじめとして、サンスクリット語、ガンダーラ語、中国語、チベット語などでアジア全域に広がり、ヨーロッパなどでも訳されて仏教の研究がなされ、知名度の高い経典です。しかし、日本では大乗仏教が広まっていたためにあまり重要視されなかったというのが現実のようです。明治や昭和以降に「ダンマパダ」がヨーロッパで仏教の重要な文献として扱われていたため注目を集めてきたといわれています。つづく
グラコム2012年7月号掲載

  2012/06/25   gracom
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