日本の宗教のいろは

釈迦の教えについて④

今回は「煩悩(ぼんのう)」についてです。
「煩悩」とは、サンスクリット語の「クレーシャ」を漢語訳した言葉でもともとの意味は「汚すもの」とか「苦しめるもの」です。ものへの愛着や自分本位で偏った考え方から起こり、心身を悩ませて正しい判断を妨げ、苦を引き起こす心の働きと考えられています。
釈迦はそのことについて具体的に分類や体系を作りませんでしたが、その後に理論化され、現在は貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)、縮めて「貪(とん)・瞋(しん)・痴(ち)」の三つが煩悩の根源であり、この三つを合わせて三毒(さんどく)であるとか、三垢(さんく)であるとかと言っています。それぞれは次のような意味を持ちます。
貪欲(とんよく)…ものやひとなどに執着することで、人がもつ欲望のこと。
瞋恚(しんに)…人に対する嫌悪や憎悪・怒りなどのこと。
愚痴(ぐち)…真実が分からないこと。無知なこと。 また、煩悩はその他にも数多く存在し、俗に百八あると言われているのはご承知の方も多いと思います。除夜の鐘の数や数珠の玉の数も百八が基本になっているのも煩悩の数に起因するといわれることもあります。
そして、貪欲と瞋恚のふたつの感情を捨て去ることができれば、苦はなくなると言われています。
これらの煩悩の根源が「愚痴」です。前回、縁起についてお話をしました。縁起とはすべてのものごとは、お互いに関係し合っているということです。この縁起の考え方から老死(ろうし)という苦しみの原因をたどっていくと無明(むみょう)という根本の原因までたどりつくという考え方があります。愚痴とこの無明とは同じ意味で、この無明を無くすことができたら、最終的にある老死の苦しみもなくすことができるのです。つまり、諸行無常の真実を知れば、心は「貪・瞋」の煩悩を離れて苦しみから解放されると言えるでしょう。
やはり仏教の考え方は難しいですね。だからこそ、信じることが大切なのではないでしょうか。つづく
グラコム2011年9月号掲載

  2011/08/25   gracom
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