今回は、親鸞聖人が晩年になって創作した和讃(わさん)についてです。
「正信偈(しょうしんげ)」に代表される偈文(げぶん)は漢文のうただとお話しましたが、和讃は誰もがわかりやすいように和文で書かれたうたと考えてよいでしょう。親鸞聖人は五百数十首もの和讃を創っていますが、その代表的なものが三帖(さんじょう)和讃と呼ばれ、「浄土和讃」「高僧(こうそう)和讃」「正像末(しょうぞうまつ)和讃」からなっています。
和讃は一時期に完成したものではなく、修正等を加え長い年月を経て制作されたものです。また、当時の今様(いまよう)と言われる流行歌に影響を受け、四句一章、七五調に整えられています。つまり、たくさんの人々にその内容を理解してもらいたいという思いが伝わってきます。
「弥陀(みだ)の名号(みょうごう)となへつつ 信心まことにうるひとは憶念(おくねん)の心つねにして 仏恩(ぶっとん)報ずるおもひあり」「誓願(せいがん)不思議をうたがひて 御名(みな)を称する往生は 宮殿のうちに五百歳 むなしくすぐとぞときたまふ」
これは浄土和讃の最初の冠頭(かんとう)和讃で、和讃全体の趣旨を伝えていると言われています。本願を信じきるひとは常に仏のご恩を感じているが、本願を疑うひとは本当のお浄土に行くことができない。だから、疑いを持たず本願を信じきり仏の恩に感謝することが大切であると親鸞聖人はお伝えになっています。
「浄土和讃」は、浄土三部経を中心として阿弥陀如来の本願の世界とその世界に達するための道について。「高僧和讃」は、以前にお話しした七人の高僧の行いや著作について。そして「正像末和讃」は、末法の世にあって親鸞聖人自身が本願を信じ、念仏することで本当の自身が知らされ、またわかることで念仏し、たくさんの方々に広めようと思うことについて。そして「正像末和讃」にある三時讃の五十八首にあたるのが、門徒の皆様はよくご存じの「恩徳讃(おんどくさん)」であり、如来とお導きくださる方々への恩徳を讃えて結びにします。「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし」つづく
グラコム2010年10月号掲載