日本の宗教のいろは

禅について④

「禅」についての四回目です。
今回は禅と茶の関わりについてです。
日本には、すでに奈良時代に遣唐使や留学生によって茶が伝えられ、喫していたとの記述が残っていますが、「喫茶養生記(きっさようじょうき)」という茶に関する日本最古の書物を「栄西(えいさい)」が記して喫茶の習慣を伝えたとされるために、栄西は茶祖と呼ばれています。栄西と言えばご承知の通り、日本の臨済宗の開祖と呼ばれる人物です。栄西は、宋の時代の茶を粉にして飲む抹茶法を伝えたとされ、「喫茶養生記」を当時の鎌倉幕府の将軍である源実朝に献じたことから、禅宗の広まりと相まって喫茶の慣習が武家の間にも広まったと言われています。また、当時の茶は喫茶養生記にあるように「茶は養生の仙薬なり、延命の妙術なり。」と言われ、健康維持の特別な薬であり、寿命を延ばしてくれるものだ。という薬としての側面が強調されていました。
その後、室町時代に村田珠光(むらたじゅこう)によって、それまでの喫茶の習慣や禅院での茶礼(されい)の法式がまとめられました。そのことが現代の「茶道」の原型になっていったと考えられ、千利休によって安土桃山時代に「わび茶」の完成をみています。現在の裏千家、表千家等は、利休の孫の弟子たちによってはじまりました。
また江戸時代には、黄檗宗(おうばくしゅう)を開いた、「隠元(いんげん)」によって煎茶の風習が日本に伝えられました。その後に、売茶翁(ばいさおう)という禅僧が現れて煎茶の世界に独自の方向が示され、また京都の宇治で売茶を始めたことにより、庶民に煎茶が幅広く広まったとされています。現在もお茶と言えば一般的には煎茶を指すことが多いように、日本人には欠かせない飲み物になっていきました。「煎茶道」も広義には茶道の一種と言えますが、いれ方が異なるために別のものと捉えられています。黄檗宗の本山は、黄檗山万福寺ですが、現在も全日本煎茶道連盟の事務局はその寺院内に置かれ、同連盟の会長は同寺院の管長が兼務することが慣わしになっています。
このように、「禅」と「茶」の関わりは非常に深いものがあるのです。つづく

グラコム2010年2月号掲載

  2010/01/25   gracom
≪ 禅について③  |  禅について⑤ ≫