日本の宗教のいろは

禅について③

「禅」についての三回目です。
今回は禅と食事との関わりについてです。そのことについて、永平寺を開いた道元(どうげん)抜きには語れません。
道元は修行のために渡った宋において年老いた典座和尚(てんぞおしょう)から食事の大切さを学んだと言われています。それまでは、道元も典座が重要な役職だとは考えていなかったようです。その一つが「老典座と一晩語り合いたいと言った道元に対して、典座は食事係の仕事があるので帰ると言った。しかし道元は、食事係などは若い僧に任せて、他に大切なことを行うべきでは。と話したところ、老典座は、修行の何たるかがわかっていないと諭した。」というお話です。そのことで典座の重要性を理解した道元は「典座教訓(てんぞきょうくん)」を著され、食事の重要性を説いたのです。禅において典座(てんぞ)とは食事や炊事を任された大切な役職で、重要な修行の一つとされています。著書の中に料理を作るときの三つの心が書かれています。「喜心(きしん)」「大心(だいしん)」「老心(ろうしん)」の三つで、調理する、もてなすことなどの喜び、偏ったり、何かにとらわれたりしない、親子が抱くようなやさしく愛情を持った心を持ちながら、調理することが大切であると書かれています。
また、食事をいただくときにも禅では「五観の偈(ごかんのげ)」を唱えます。つまり、食べることも修行だと考えられています。
一つに、功(こう)の多少を計り、彼(か)の来処(らいしょ)を量る。
二つには、己れが徳行(とくぎょう)の全 (ぜんけつ)を忖(はか)って共に応ず。
三には、心(しん)を防ぎ過貪等(とがとんとう)を離るることを宗(しゅう)とす。
四には、正(まさ)に良薬を事とするは、形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんがためなり。
五には、成道(じょうどう)の為の故に、今此(いまこ)の食(じき)を受(う)く。
目の前の食事に感謝し、自身の徳を振り返り、むさぼる心をいさめ、心身をいやす薬として、また修行を成し遂げるために食べるということをしっかりと自らに言い聞かせてからいただくということです。つづく

グラコム2010年1月号掲載

  2009/12/25   gracom
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