日本の宗教のいろは

禅について②

「禅」についての二回目です。
悟りの真理は文字でも経典でもなく、心から心に伝えられるものという意味で「不立文字(ふりゅうもんじ)」「教外別伝(きょうげべつでん)」という言葉が「禅」では表現されます。つまり「禅」では、師と弟子が直接人間的に密な関わりを持ちながら教えが伝えられるということであり、師の問いかけに対して弟子がどのような答えや行動をするかを見て教えを理解したか否かを判断し、修行が完成したのかどうかを判断するのです。このことは釈尊以来、今日まで連綿と続いていることだと言われています。
また、「不立文字」「教外別伝」と合わせて「禅」の大切な教えが「直指人心(じきしにんしん)」「見性成仏(けんしょうじょうぶつ)」という言葉でも表されています。それは、自分自身の心そのものをしっかりと見つめ、その中に悟りの心を見出すことです。人間は何かを考えるときに様々なことで思い悩みますが、そのようなことでは悟りを得ることはできなくて、自分の本当の心と向き合って、その中にある仏の心に語りかけ、理解することによってのみ悟りを得られるということだと考えます。
さて、「禅」では「坐禅(ざぜん)」が修行には欠かせません。もともとは仏教が始まる以前からインドにあったものが、釈尊が坐禅をして悟りを得たことから仏教にも取り入れられたと言われています。坐禅には足の組み方で、「吉祥坐(きちじょうざ)」と「降魔坐(ごうまざ)」の二つがあります。「吉祥坐」とは先に左足を右股にのせ、後ろから右足を組みます。「蓮華坐(れんげざ)」とも呼ばれています。また、「降魔坐」はその逆で、先に右足を左股にのせてから左足を組みます。釈尊が悟りを得た時には「吉祥坐」だったことから、悟りを得た者は吉祥坐、修行をする場合は「降魔坐」が基本になります。ですから、奈良の大仏などは当然「吉祥坐」になっています。そんなことを頭の片隅に入れて、各地の仏像をご覧になるのも良いのではないかと思います。つづく
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グラコム2009年12月号掲載

  2009/11/25   gracom
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