日本の宗教のいろは

禅について

今回からは「禅」についてです。
「禅」とは、古代インドの語のジャーナという言葉を中国語訳したもので「禅那(ぜんな)」からきています。その意味は「精神を一つの対象に集中し、その真の姿を知ろうとすること」という意味があります。まずは「禅」の歴史をひも解いてみましょう。
釈尊(しゃくそん)は菩提樹の樹の下で坐禅を組んで悟りを得たと言われています。長い年月の「苦行」では悟りを得ることができなくて、「中道(ちゅうどう)」とか「空(くう)」いう考え方(なにごとにも極端ではなくこだわらないこと)で悟りを得ることができたのです。その教えが摩訶迦葉(まかかしょう)に伝えられ、その後、インドにおいて二十八祖にあたる菩提達磨(ぼだいだるま)まで伝わり、その菩提達磨が中国に伝え、その後に六祖である慧能(えのう)によって中国的な展開がなされたものが、現在まで日本で伝えられている「禅」の起源といわれています。以前も書きましたが、禅宗という宗派は日本にはありません。日本における「禅」は、曹洞宗・臨済宗・黄檗宗の三つの宗旨が現在に至っています。
さて、悟りを得た釈尊から摩訶迦葉に真理が伝えられたときの話が「拈華微笑(ねんげみしょう)」と言われ、「禅」のもっとも大切な心を伝えたエピソードとして有名です。釈尊の晩年に弟子たちが集まり説法を聞く場がありました。そこで釈尊は一切の言葉を話さず、一本の花を差し出したところ、他の弟子たちは不思議がるばかり。ただ一人、摩訶迦葉だけが微笑み返した。それを見た釈尊は自身の教えようとした悟りの真理は、文字や言葉だけでは完璧に伝えることはできないが、摩訶迦葉だけはそのことと教えを理解してくれた。という話です。「不立文字(ふりゅうもんじ)」「教外別伝(きょうげべつでん)」という言葉で「禅」のもっとも重視されていることがよく表されますが、それは、悟りの真理は文字でも経典でもなく、心から心に伝えられるものという意味であります。つづく
グラコム2009年11月号掲載

  2009/10/26   gracom
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