密教についての三回目です。
皆様は、たびたび加持祈祷(かじきとう)であるとか護摩(ごま)とかいった言葉を耳にすると思いますが、密教では大切な意味を持っています。加持祈祷の「加持」とは、弘法大師空海はその著書「即身成仏義(そくしんじょうぶつぎ)」の中で、「加持とは如来の大悲と衆生の信心とを表わす。仏日の影、衆生の心水に現ずるを加といい、行者の心水よく仏日を感ずるを持と名づく」と書いています。「加」は、仏の慈悲の心が常に衆生に注がれていることを言い、「持」とは、修行を重ねている人は仏の心がよくわかるということを言います。つまり「加持」とは、仏の教えを聞こうと一生懸命努力することと仏の慈悲の心が相応し、様々な加護が得られること。と言えます。一方「祈祷」とは神仏の加護を願い、言葉によって神仏に祈ることです。それぞれに意味がありますが、現在では「加持祈祷」という文言で使われることが多いように思われます。
また「護摩」とは、サンスクリット語の「ホーマ」に起源をもち、火中に供物を投げ入れて天上にいる神々に捧げる儀式でありました。密教では加持祈祷のための一つの儀式と言えます。ですから、加持祈祷を行う場合にすべて護摩のように炉の中に供物を投じるわけではありません。その密教でいう「護摩」には息災(そくさい)、増益(そうやく)、調伏(ちょうぶく)、敬愛(けいあい)等の種類があります。
護摩は前述した種類に応じてお不動さま、観音さま、お薬師さまなどのご本尊をお招きし、様々な供養を捧げ、その功徳を以って願い主の願い事を達成しようとすることです。行者が護摩の炉に火を点じ、火中に護摩木などの様々な供物を投じて捧げるのが一般的によく見かける護摩であり、これを外護摩と言います。また、行者自身の心の中にある煩悩を仏の智恵の火で焼き、悟りの心を得ようと行うものを内護摩といいます。つづく
グラコム2009年9月号掲載