今月からは仏教について人物、歴史等様々な視点からお話をしてみたいと思います。
まずは、密教(みっきょう)についてです。
密教とは何か。については以前何度かお話をしましたが、顕教(けんきょう)に対比されて使われる言葉です。歴史をひも解けば、密教はインドにおいて成立しています。密教では、
※1 森羅万象(しんらばんしょう)のすべては、大日如来(意味は太陽のような存在の仏)の悟りの世界の表れであるという考えを持ち、その教えを直接聞くために、手に印を結び、言葉に真言を唱え、心に仏の世界を描く三密(さんみつ)修行を行うことで悟りを得、即身成仏(そくしんじょうぶつ)できるという教えです。日本密教の成立には、遣唐使の留学僧として唐において学んだ二人の宗祖の空海と最澄が大きく関わり、また代表される僧です。最澄は天台宗、空海は真言宗の宗祖として有名であり、また、最澄は清和天皇から伝教大師、空海は醍醐天皇より弘法大師の諡(おくりな)を下賜(かし)されています。空海に関しては、弘法大師の謚の方が有名ではないでしょうか。
さて、その二つの宗派が日本の密教の代表的なものでありますが、真言密教は京都府の東寺を中心に発達していったことから東密(とうみつ)といい、天台密教を台密(たいみつ)といっています。最澄は短期の留学生として、空海は長期の留学生として遣唐使といっしょに入唐し学びますが、最澄は天台宗を学ぶために入唐しています。その中で一番重んじられていたのは「法華経」であり、その中には「一乗説」(すべての人が成仏する可能性を持っていると説かれていること)があることから天台宗では一番重んじられていました。一方、空海は唐において青龍寺(しょうりゅうじ)の恵果(けいか)との出会いが、その生涯を決定づけたといえます。恵果は中国密教の大成者であり、余命が少ないことを自覚していた恵果は空海を一目見てその才能を見抜き、受け継いだ密教の教えをすべて空海に伝えたと言われています。つまり、日本において当時、密教については空海が一人者であり、そのために最澄も弟子たちと空海から※2 灌頂(かんじょう)を受けています。
※1 森羅万象…宇宙に存在するすべてのもの。あらゆる現象、あらゆる事物。
※2 灌頂…密教において、一定の地位を得る時等に行われる儀式。つづく
グラコム2009年7月号掲載