日本の宗教のいろは

お香について④

江戸時代に入り、経済力を持った町人の間にも香が広がりはじめました。また、庶民が日常に使用する袖香炉や香枕などの身だしなみとしての香道具も様々に工夫されました。
さてこの頃、京都の禁裏(天皇家)御用達の紅商人であった米川常白(よねかわじょうはく)と言う人物が現れています。香聞きの名人であるとの話が伝わり、※東福門院様に見出されて、禁裏所持の名香などの香聞きを行いながら、「六国五味(りっこくごみ)」で香を鑑別する方法を確立し、現在もその方法が伝わっています。米川常白は五つの味覚「五味」を嗅覚(きゅうかく)に導入したのです。甘(あまい)、酸(すっぱい)、辛(からい)、苦(にがい)、鹹(しおからい)の五つです。また、「六国」とは香木に含まれる樹脂の質と量の違いから分類されるもので、伽羅(きゃら)、羅国(らこく)、真南蛮(まなんばん)、真那賀(まなか)、佐曾羅(さそら)、寸門多羅(すもんたら)の六つです。そして、米川常白は生涯、組香で一つも聞き洩らすことがなかったと伝えられています。
またこの時代は「お線香」が伝わったことがお香の世界の幅を広げたと言えるでしょう。宇治の黄檗山(おうばくさん)万福寺(まんぷくじ)を開いた隠元が煎茶を日本に伝えたと言われていますが、その頃と時を同じくしてお線香の製法が日本に伝わったと言われています。(諸説あり。)そして現在でも煎茶の席で焚かれるのは香木や練香ではなくお線香なのです。また、お線香はこの時代に時間を図る役目も果たしており、坐禅を行うときに一ちゅうという単位(線香が一本燃え尽きるまでの時間。約40分程度)を使っていました。また、当時は線香が仙香とも通じ、つまり香のかおりが長く久しく保たれることから仙人のように長寿に通じることと捉えられたことから文人墨客(ぶんじんぼっかく)に特に好まれたとも言われています。
※東福門院(とうふくもんいん)…
第二代将軍徳川秀忠の五女で徳川和子(まさこ)。108代の後水尾(ごみずのお)天皇の中宮(皇后の意)。109代の女帝である明正(めいしょう)天皇の生母。 つづく
グラコム2009年6月号掲載

  2009/05/25   gracom
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