日本の宗教のいろは

お香について②

七九四年に桓武天皇によって都が山城の国、現在の京都(平安京)に移されて本格的に平安時代の幕開けとなりました。平安時代になって香は仏教儀礼以外にも薫く(たく)習慣が生まれ「空薫物(そらだきもの)」と呼ばれ、室内だけでなく、平安貴族たちの嗜み(たしなみ)として衣装にも薫かれるようになっていきました。平安時代の初期は中国の影響を受けた唐風文化が主流でしたが、徐々に和様文化が進み、平安中期には国風文化が浸透してきました。九○○年代の「古今和歌集」「土佐日記」、一○○○年代には清少納言の「枕草子」、紫式部の「源氏物語」など皆様もよくご存じのことと思います。
その中で香は、平安和歌と結びついて文学的世界を形作り、このころに宮廷で流行していた、様々なものを比較して優劣を競う「歌合(うたあわせ)」や「絵合(えあわせ)」「物合(ものあわせ)」の一つとして「薫物合(たきものあわせ)」が知的な遊びとして貴族社会の中で定着していきました。その後、香は教養の一つとしても育まれ、その人となりを知るための要素としても位置付けられていったことから、たいへん重用されていたようです。香の配合は六種(むくさ)の薫物(たきもの)と呼ばれる六種類が基本であり、それぞれ沈香・丁子・白檀などの香木を粉末にして様々な割合で配合し、はつみつや梅肉等で固めたものです。六種類の呼び名は、梅花(ばいか)、荷葉(かよう)、侍従(じじゅう)、菊花(きっか)、落葉(らくよう)、黒方(くろぼう)で、春夏秋冬を題材にして香料の配合がなされていました。
さて、平安末期より武士が台頭し、一一九二年に鎌倉幕府が開かれました。また、日本に臨済宗を伝えた栄西が禅の教えを広め、それが武家に多くの信奉者を得て広まったこともあり、香は平安時代に流行った優雅な雰囲気のある空薫ではなく、様々な香料は配合せずに、ただ香木をくゆらせて楽しむことが流行しました。それは前述の禅の教えにも通じるところがあり、ただ一心に心を静めて坐禅を行うのには、優雅さよりも心を鎮めるために香りを薫くことが優先されたからではないでしょうか。つづく
グラコム2009年4月号掲載

  2009/03/25   gracom
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