日本の宗教のいろは

神道について③

今回は祝詞(のりと)について簡単にお話をいたします。
神道でいう祝詞は、神職が祭祀(さいし)等のときに独特の文体で神に様々なことを申し上げることば、または神が集まった人々に聞かせることばのことを言います。祝詞は現在に至るまでたくさん作られていますが、その中でも律令時代(大化の改新後の七世紀後半から十世紀頃まで)に編纂(へんさん)された「延喜式(えんぎしき)」に書かれた祝詞は現存する最古のものであり、今もなお延喜式祝詞と呼ばれ祝詞の規範としてたいへん重視されています。そして祝詞は言葉の端々に至るまで美しい大和言葉で書かれています。
また、古来より日本では言葉に特別な霊力が宿ると考えられていました。「言霊(ことだま)のこと」つまり、良き言葉はよい方向に、悪い言葉は悪い方向にことが運ぶと信じられていました。これは「言」と「事」が同じ概念で考えられていたからだといわれています。そして、現在でも残っている忌詞(いみことば)は、言霊の思想に基づくものとされています。よく言われる忌詞の例をあげると、たとえば、魚の「切り身」を「刺し身」というのは切ることが切腹に通じることからであったり、「スルメ」を「あたりめ」というのは、ギャンブルでお金をすることに通じるからであったりするからだと言われています。そのほかに結婚式とかお葬式とかの特定の状況で使われる忌詞もご承知の通りです。そのようなことから祝詞を奏上(そうじょう)する際には特に気をつけていました。当然ではありますが、前述の延喜式にも忌詞として「死」は「奈保留(なおる)」、「血」は「阿世(あせ)」などと言い換えられています。
祝詞は広い意味で、祓詞(はらえことば)「修祓(しゅばつ)の際に奏することばであり、簡単に言えばお祓いするときの言葉とも言えます。」、拝詞(はいし)「祭祀を行うのではなくただ神を拝するときに奏する言葉。」等も含みます。また、文体からの区分けもされていて、一つは「宣(のりたま)ふ」で終わる宣命体(せんみょうたい)と言われるのもので、祭祀などで集まった人々に宣(の)り聞かせるものであり、もう一つは「恐(かしこ)み恐みも白(もう)すで終わる奏上体(そうじょうたい)と言われるもので、直接神に対して奏上するものです。後述の奏上体と言われるものは、皆様方もよく耳にするのではないでしょうか。つづく
グラコム2008年12月号掲載

  2008/11/25   gracom
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