日本の宗教のいろは

お彼岸に思う

今月はお彼岸の月です。仏教の教えについてたとえも入れて簡単にまとめてみました。
仏教では、私たちが生きている世界を「此岸(しがん)」と言います。私たちの人生には、良いことがあれば悪いこともあります。しかし、人は悪いことがあると不満や不安、不愉快になったり怒ったりもします。「生きている間ずっとやすらいだ心」でいられる方は少ないはずです。この原因となるのが「此岸」にあるたくさんの煩悩(ぼんのう)であると釈尊(しゃくそん)は教えました。そして、煩悩から解き放たれ、何ものにもとらわれない心安らかなる「彼岸」に行きなさいと教えました。釈尊は、菩提樹(ぼだいじゅ)の木の下で瞑想をしているときに煩悩を乗り越えた「涅槃(ねはん)」の境地に達し「彼岸」に到達しました。つまり、悟りを得て※仏陀(ブッダ)になったと言われています。
此岸には、思い通りにならない「苦」があり、それはすべて生きている「人」が様々な欲望に固執することから生まれるもので、たとえば、病気になったら早く治したいと思ったり、年老いたらもっと若かったらと考えたりするものです。
欲しい物は自分の物にしたいとも思うはずです。そのように思い通りにならないことに固執することから「煩悩」が生まれるのです。釈尊は、煩悩を消すために何事にも固執しない、とらわれない心になる必要があり、その状態を「空(くう)」と言い、何ごとにもかたよらないで生きていくことを教えました。そのための道として、日本の仏教では、「自力の道」「他力の道」の二つがあります。これは宗派によって異なる考え方です。「自力の道」は修行を積んで自分の力で仏陀になる道。「他力の道」はすでに仏陀になられた人の力を借りて仏陀になろうとする道です。
どちらの道をとったにしても仏教では、此岸に生きている自分自身が仏陀になるための教えであると言えるでしょう。お彼岸の機会にぜひ、仏教の教えについて考えてみることも良いのではないでしょうか。
※ブッダとはサンスクリット語が語源で、「真理に目覚めた人」という意味です。つづく
グラコム2008年3月号掲載

  2008/02/25   gracom
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