今回から浄土宗の教えについて簡単に説明いたします。浄土宗は、法然上人が開祖であり「専修念仏(せんじゅねんぶつ)」という心が一番大事な教えです。
そして、前回まで紹介した真言宗では「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」が大切だと話しましたが、そのことを達成するために仏教徒は、戒(かい)・定(じょう)・慧(え)といわれる様々な修行が不可欠でありました。
では、修行が困難であったり、難しい教えを理解するのが難しかったりする人々はどうなるのでしょうか。法然上人は善導(ぜんどう)大師の「観経の疏(かんぎょうのしょ)」の中から〈現代訳‥常に南無阿弥陀仏とお名号を称え離れないのが仏道修行する者の勤めだ。弥陀の「本願」に叶う道だから〉の文を発見され、身分の上下、貧富の差、老若男女などの区別なく誰もが救われる道だと確信したのです。
前述の「本願」とは何でしょう。それには二つあり、総願と別願t言われています。総願は全ての仏の願いに共通するもので、四弘誓願(しぐせいがん)(※1)等があげられます。
別願は、それぞれの諸仏固有のもので、その中で阿弥陀仏に関するものは、修行していたときの名前である法蔵菩薩が長い間の修行により四十八の請願が成就し、極楽浄土と言う国ができたことが浄土三部経の「無量寿経」に述べられています。その中の第十八番目に「心から信じて私の国に生まれたいと願うならば、ただ念仏をとなえること(実際はもっと深い内容です)」と言う念仏往生の願いが見られ、阿弥陀仏の願いの要と言われています。
※1…四弘誓願(しぐせいがん)仏道を目指すものが最初に立てる四つの請願のことを言い、簡単に言い表すと、
「衆生無辺誓願度」迷いや苦しみに沈んでいる一切衆生を救済しようと誓うこと。
「煩悩無返誓願断」一切の煩悩を断じ尽くそうと誓うこと。
「法門無尽誓願知」仏の教えをすべて学び知ろうと誓うこと。
「無上菩堤誓願証」仏道を行じて無上の悟りを証得しようと誓うこと。
(筆者は、宗派の専門家とは言えませんので、詳しくは、菩堤寺のご住職にお聞きください。素晴らしい人ばかりですので、わかりやすく教えてくださると思います。)
グラコム2006年9月号掲載