各宗派の宗祖についてのお話の五回目は「日蓮」です。
日蓮宗は日蓮聖人を宗祖とし、総本山は山梨県にある身延山久遠寺(くおんじ)であります。
日蓮は貞応元(一二二二)年、安房国東条郷(現在の千葉県安房群)に生まれました。十二歳で天台宗清澄寺(せいちょうじ)に入り、十六歳で出家、是聖房連長(ぜしょうぼうれんちょう)を名乗り、その後京都をはじめとして各地において遊学され、『』法華経が拠りどころとする唯一の経典であると確信しました。
建長五(一二五三)年四月二十八日、清澄寺のある清澄山の旭が森において「南無妙法蓮華経」を初めて唱えて立教開宗の宣言をし、同時に名前を日蓮と改名しました。日蓮、三十二歳のときのことです。その後日蓮聖人は『法華経』だけが唯一の教えであると説き、他宗を強烈に批判したために他宗信者であった地頭の東条景信によって東条の地を追われ、鎌倉の松葉谷(まつばがやつ)に草案を構えました。
このころから世の中は天災、飢餓、疫病、戦乱等が相次ぎ、まさに末法の世の様相を呈していたため、このことを憂い文応元(一二六〇)年「立正安国論(りっしょうあんこくろん)」をまとめ、前執権であった北條時頼に示しましたが受け入れることはありませんでした。
その後、さらに他宗を強烈に批判しながらの布教活動に対して数々の法難を受けながらも力強く活動を行いました。晩年の九年間を身延山に移り、「撰時抄(せんじしょう)」や亡き師の道善房を偲んで「報恩抄(ほうおんしょう)」などを著し、門弟を指導することで過ごしました。
弘安五(一二八二)年、病のため身延山をおり常陸国に向かいましたが、病が重くなり、同年一〇月一三日、武蔵国池上(現在の東京都大田区)にて、六十一歳で没しました。
北見市で日蓮宗のお寺というと、学法寺、妙秀寺があります。(五十音順)
グラコム2005年6月号掲載