日本の宗教のいろは

数珠(じゅず)『念珠(ねんじゅ)』と合掌(がっしょう)

数珠の起源は古く、温度では紀元前五世紀に仏教が興る以前から、バラモン教で盛んに用いられていたと言われています。釈迦の時代に数珠を使ったという記録は見つかっていません(諸説あり)が、後に数珠の効用を説いた「木げん子教(もくげんじきょう)」というお経が作られ、煩悩(ぼんのう-心の迷い)を断つために百八個の木げん子(ムクロジ科の落葉高木)の種子を連ねたものを、肌身離さず持って、常に仏法僧(ぶっぽうそう)を念ずればその功徳は絶大であると説かれています。 その後、この経典が中国で翻訳され、数珠が盛んに用いられました。そして、日本にも伝えられ仏教の必携のものとなっていきました。 ですから、数珠の珠の数は百八個が基本となっているのです。しかし、今ではさまざまな種類と数の数珠があり、その意味合いも使い方も宗派によって異なりますが、今でも仏教徒には必携のものであります。 この数珠を使うときというのはどんなときが多いでしょう。そうですね、合掌するときによく使います。 それでは合掌とはどのような意味を持っているのでしょうか。仏壇に向かったとき、あるいは寺院にお参りするときには、両手のひらを合わせ、目を閉じて静かに礼拝しますよね。これが合掌です。仏教では右はほとけの手、左は自身の手であるといわれ、両手を合わせ合掌する姿は仏に帰依し、仏に救われていく姿なのです。 言い換えれば、仏の心と私たちの心が、この「合掌」をとおして固く結び合っているともいえます。 食事のときに「いただきます」「ごちそうさま」をするときにでも手を合わせて合掌する家は少なくなったといわれます。目を閉じ背筋を伸ばして合掌すると心が静かな気持ちになります。 そんなちょっとしたことが、現代の殺伐とした社会の中では必要なことではないのでしょうか? とにかく数珠と合掌は仏教の世界の中では切っても切れない大切なことのひとつとなっているのです。
グラコム2004年8月号掲載

  2004/08/01   M I
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