日本の宗教のいろは

お彼岸について

皆様もよくご存知の「お彼岸」ですが、「彼岸」はもともと仏教用語で、サンスクリット語のパーラミター。
この音を漢字に当てた「波羅密多(はらみた)」つまり「到彼岸」から来ています。
つまり、我々が住む迷いの多い「此岸(しがん)」から、迷いのない仏の世界に渡ることを目的としたものであり、春分の日と秋分の日を中日として、
前後三日の七日間を言います。その間、寺院等で行われる法会を「彼岸会(ひがんえ)」と言います。
ちなみに、「彼岸」といえば春の彼岸。秋の彼岸は「秋彼岸」もしくは「後の彼岸」というのが本当だそうです。
「彼岸」は、もともと仏教用語から来たものではありますが、「彼岸会」の習慣は日本独特なもので、インドや中国では見られないのです。
日本で最初に「彼岸会」が始まったのは、春分・秋分の日とは関係なく、西暦八百年頃(諸説あり)だと言われています。
その後各地で「彼岸会」の風習が広まった後に、暦にも春・秋の彼岸の日が定められるようになりました。(千八百年代中頃)
また、昭和二十三年には、春分の日は「自然をたたえ、生き物をいつくしむ日」、秋分の日が「祖先をうやまい、亡くなった人をしのぶ日」とされ、春分・秋分の日が「国民の祝日」として定められました。
さて、「お彼岸」には、昔から先祖をうやまい、お墓参りをすると言う風習があります。
またお仏壇にぼた餅やおはぎをお供えして家族で食べるという風習もありますよね。ぼた餅は牡丹餅と書きます。おはぎは御萩です。
牡丹の花は春に咲きますので、春はぼた餅、萩の花は秋に咲くので秋はおはぎと言うそうです。さらに、花のイメージを考えて、ぼた餅はこしあんで、おはぎは粒あんで作るとも言われているようです。ご存知でしたか?
また、春分・秋分の日は、昼と夜の長さが同じ日であり、太陽が真東から昇り、真西に沈むことから、極楽浄土のある西に向かう道しるべになることからも、信仰が広まったと言われています。
グラコム2006年2月号掲載

  2006/01/25   gracom
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