仏教のお経(経典)とは、キリスト教の聖書やイスラム教のコーランのようにその教えの根本精神を説いたものといえます。 ただ、聖書やコーランが一冊の本にまとめられているのに対し、仏教の経典は「八万四千の法門」と言われるように実に膨大な量があるのです。 この経典のはじまりは、釈尊(釈迦)の生存中や入滅後しばらくは、説法は文章化されていませんでした。それは当時のインド人が文字を使用していなかったことから、人から人へと暗唱によって伝えられていました。 しかし、釈迦が入滅してから、仏教が盛んになりいろいろな派が出来てくると、文章として残しておく必要が生じ、経典が出来ていったのです。 これらの経典は大きく分類すると三つに分けることが出来ます。 仏陀の説法を記した経(スートラ)、仏弟子として守るべき戒と律(ヴィナヤ)、教理の研究書である論(シャーストラ)の三つです。 これらをそれぞれ集約したものは経蔵、律蔵、論蔵と呼ばれ、これを三蔵といっています。ご存知の三蔵法師というのは、この三蔵すべてに精通した僧に対する敬称なのです。 さて、私たちが法事や葬儀のときに聞くお経は、その意味がさっぱりわかりませんよね。経典を見てもそうですね。それは経典の多くが中国語で書かれてあるからなのです。平安時代に日本語に『かな』が生まれ、現在まで発展してきたのと違い、平安時代末まで庶民化しなかった仏教では、そのままの形で残っているのです。 代表的なお経をあげるならば、名前だけならどなたでもご存知であろう、『般若心経』というお経は、たった二百六十二文字ではありますが、今ある日本の仏教のエッセンスを凝縮しているお経なのです。
グラコム2004年6月号掲載