グラコムjp(北見・網走方面の無料宅配情報誌サイト)

宗教のいろはタイトル

グラコム2010年1月号掲載

禅についてB

「禅」についての三回目です。
今回は禅と食事との関わりについてです。そのことについて、永平寺を開いた道元(どうげん)抜きには語れません。
道元は修行のために渡った宋において年老いた典座和尚(てんぞおしょう)から食事の大切さを学んだと言われています。それまでは、道元も典座が重要な役職だとは考えていなかったようです。その一つが「老典座と一晩語り合いたいと言った道元に対して、典座は食事係の仕事があるので帰ると言った。しかし道元は、食事係などは若い僧に任せて、他に大切なことを行うべきでは。と話したところ、老典座は、修行の何たるかがわかっていないと諭した。」というお話です。そのことで典座の重要性を理解した道元は「典座教訓(てんぞきょうくん)」を著され、食事の重要性を説いたのです。禅において典座(てんぞ)とは食事や炊事を任された大切な役職で、重要な修行の一つとされています。著書の中に料理を作るときの三つの心が書かれています。「喜心(きしん)」「大心(だいしん)」「老心(ろうしん)」の三つで、調理する、もてなすことなどの喜び、偏ったり、何かにとらわれたりしない、親子が抱くようなやさしく愛情を持った心を持ちながら、調理することが大切であると書かれています。
また、食事をいただくときにも禅では「五観の偈(ごかんのげ)」を唱えます。つまり、食べることも修行だと考えられています。
一つに、功(こう)の多少を計り、彼(か)の来処(らいしょ)を量る。
二つには、己れが徳行(とくぎょう)の全 (ぜんけつ)を忖(はか)って共に応ず。
三には、心(しん)を防ぎ過貪等(とがとんとう)を離るることを宗(しゅう)とす。
四には、正(まさ)に良薬を事とするは、形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんがためなり。
五には、成道(じょうどう)の為の故に、今此(いまこ)の食(じき)を受(う)く。
目の前の食事に感謝し、自身の徳を振り返り、むさぼる心をいさめ、心身をいやす薬として、また修行を成し遂げるために食べるということをしっかりと自らに言い聞かせてからいただくということです。つづく

グラコム2010年2月号掲載

禅についてC

「禅」についての四回目です。
今回は禅と茶の関わりについてです。
日本には、すでに奈良時代に遣唐使や留学生によって茶が伝えられ、喫していたとの記述が残っていますが、「喫茶養生記(きっさようじょうき)」という茶に関する日本最古の書物を「栄西(えいさい)」が記して喫茶の習慣を伝えたとされるために、栄西は茶祖と呼ばれています。栄西と言えばご承知の通り、日本の臨済宗の開祖と呼ばれる人物です。栄西は、宋の時代の茶を粉にして飲む抹茶法を伝えたとされ、「喫茶養生記」を当時の鎌倉幕府の将軍である源実朝に献じたことから、禅宗の広まりと相まって喫茶の慣習が武家の間にも広まったと言われています。また、当時の茶は喫茶養生記にあるように「茶は養生の仙薬なり、延命の妙術なり。」と言われ、健康維持の特別な薬であり、寿命を延ばしてくれるものだ。という薬としての側面が強調されていました。
その後、室町時代に村田珠光(むらたじゅこう)によって、それまでの喫茶の習慣や禅院での茶礼(されい)の法式がまとめられました。そのことが現代の「茶道」の原型になっていったと考えられ、千利休によって安土桃山時代に「わび茶」の完成をみています。現在の裏千家、表千家等は、利休の孫の弟子たちによってはじまりました。
また江戸時代には、黄檗宗(おうばくしゅう)を開いた、「隠元(いんげん)」によって煎茶の風習が日本に伝えられました。その後に、売茶翁(ばいさおう)という禅僧が現れて煎茶の世界に独自の方向が示され、また京都の宇治で売茶を始めたことにより、庶民に煎茶が幅広く広まったとされています。現在もお茶と言えば一般的には煎茶を指すことが多いように、日本人には欠かせない飲み物になっていきました。「煎茶道」も広義には茶道の一種と言えますが、いれ方が異なるために別のものと捉えられています。黄檗宗の本山は、黄檗山万福寺ですが、現在も全日本煎茶道連盟の事務局はその寺院内に置かれ、同連盟の会長は同寺院の管長が兼務することが慣わしになっています。
このように、「禅」と「茶」の関わりは非常に深いものがあるのです。つづく

グラコム2010年3月号掲載

禅についてD

「禅」についての五回目です。
禅と坐禅について考えてみます。
坐禅は禅には欠かせないものであり、坐禅をするときの足の組み方で、「吉祥坐(きちじょうざ)」と「降魔坐(ごうまざ)」の二つがあることは以前書き記したところです。
また、坐禅には「看話禅(かんなぜん)」(「公案禅(こうあんぜん)」とも言います。)と「黙照禅(もくしょうぜん)」と言われるものがあります。
「看話禅」とは臨済宗において修行の中心をなしています。修行者が悟りを得るために「公案」という問いを与えられ工夫参究(くふうさんきゅう)「修行に精進し、与えられた公案を考え抜くこと。」する修行の時に行う坐禅です。「公案」は中国の宋の時代にまとめられ、公案を使って修行する看話禅が大成しました。その後、日本では白隠慧鶴(はくいんえかく)によって五つに分類され、体系化されました。また白隠は、独自の公案も作り上げ、有名なものに「隻手(せきしゅ)の音声(おんじょう)」と言われるものがあります。「両手を打つと音が出るが、片手ではどんな音があるのか。」という問いであります。
一方「黙照禅」はただひたすら坐禅することを指し、坐禅で悟りを得るのではなく坐禅そのものが悟りであるという考え方であり、曹洞宗で多く用いられています。曹洞宗の宗祖である道元はこれを「只管打坐(しかんたざ)」と言い、少し表現が難しいですが、坐禅をしているときには坐禅ただそれだけしかなく、悟りも求めなければ、何かを得ることも考えないということではないかと思います。
そしてまた僧堂(そうどう)や坐禅堂で坐禅を行う際、臨済宗では互いに向かい合って坐るのに対して、曹洞宗では壁に向かって坐ります。つづく

グラコム2010年4月号掲載

浄土真宗について@

今回からは浄土真宗について、宗祖「親鸞(しんらん)」も含めて様々な角度から簡単にお話をしてみたいと思います。今回は「七高僧(しちこうそう)」についてです。
宗祖「親鸞」は、比叡山の修行のあとに「法然(ほうねん)」のもとでその教えに出会い、その後、絶対他力の念仏往生の信仰を確立し、阿弥陀如来の本願による衆生救済の普遍性を説いていきました。
「七高僧」とは、阿弥陀如来の教えをしっかりと伝えていただいた七人の高僧のことであり、その徳について親鸞は「正信偈(しょうしんげ)」の中で讃えています。
【第一祖】
「龍樹(りゅうじゅ)」…インドの僧で大乗仏教について多くの著書を残し、インドや中国及び日本においての多くの宗派において祖師として尊敬されている。
【第二祖】
「天親(てんじん)」…インドの僧で大乗仏教の唯識を学び各種経典の注釈書を著した。「浄土論(無量寿経の注釈書)」で浄土教の素晴らしさを述べています。
【第三祖】
「曇鸞(どんらん)」…中国の南北朝時代の僧で中国浄土教の開祖と言われています。天親の浄土論を注釈した「浄土論註」を著した。
【第四祖】
「導綽(どうしゃ)」…中国の唐時代の僧で「安楽集」を著した。
【第五祖】
「善導(ぜんどう)」…中国の僧で「称名念仏(しょうみょうねんぶつ)」(南無阿弥陀仏の名号を口に出して唱えること)を中心とした浄土思想を確立したと言われる。
【第六祖】
「源信(げんしん)」…平安時代中期の天台宗の僧。「往生要集(おうじょうようしゅう)」を著した。この著において往生するためには一心に念仏する以外に方法はないと説いている。
【第七祖】
「源空(げんくう)」…浄土宗の宗祖「法然」のこと。著書の「選択(せんちゃく)本願念仏集」においても「善導」が確立したとされる「称名念仏」つまり、南無阿弥陀仏を一心に唱えることが何よりも大切であると説いています。つづく

グラコム2010年6月号掲載

浄土真宗についてA

今回は親鸞聖人の著した「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」についてお話をします。正式には、「顕浄土真実教行証文類(けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)」という名前で、浄土真宗の立教開宗の書と言えるものです。
この著書は、釈尊をはじめとして僧たちによってインド・中国・日本と伝わってきた教えが記された著書から親鸞が信じる部分を抜き出して体系的に配列し、自身が信じる教えの正しいことを確認するためのものだと言われ、「教」「行」「信」「証」「真仏土(しんぶつど)」「化身土(けしんど)」の六巻で構成されています。それぞれの内容をほんとうに簡単に表現すれば以下のようになるのではないかと思います。
【一・教巻】…阿弥陀仏の本願によって救われる教え
【二・行巻】…名号(南無阿弥陀仏)の力で仏になれる
【三・信巻】…名号は信じなければ救われない
【四・証巻】…名号を信ずれば浄土に生まれる
【五・真仏土巻】…真実の世界を明らかにする
【六・化身土巻】…方便の教えと真実の教え
そして、「教巻」の中で浄土真宗の教えの核心が示されています。
「つつしんで浄土真宗を案ずるに二種の回向(えこう)あり。一つには往相(おうそう)。二つには還相(げんそう)なり。往相の回向について真実の教行信証あり。」
回向とは阿弥陀如来が人々に救いの手を差し伸べてお浄土に迎えることであり、往相回向とは阿弥陀如来の本願を信じて念仏することで如来の力でお浄土へ往生することであり、還相回向とは、お浄土に生まれ仏になった後にふたたびこの世に戻り迷える人々を救うこと。どちらも阿弥陀如来の本願によるものであり、絶対他力にもとづいた考え方です。そして、いかにしてお浄土に生まれることができるのかを解き明かしているのが教行信証であると述べています。つづく

グラコム2010年8月号掲載

浄土真宗についてB

前回は「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」について少しお話ししましたが、第二巻の「行巻」に門徒の方々にはなじみ深い「正信偈(しょうしんげ)」が記されています。正信偈は偈文(げぶん)と言われる漢文のうたであり、百二十句からなっています。そして浄土真宗の真髄が端的に述べられていると共に、この教えがインド・中国・日本の七人の高僧によって伝えられたことを記しています。
内容について簡単にご説明しますと
最初の二句は「帰命無量寿如来」「南無不可思議光」であり、阿弥陀仏とその智慧のはたらきに帰依(きえ)することを言っています。(※阿弥陀仏を心から信じ拠りどころとしてその教えを聞き生きていくこと。)
その後は二つに大きく分かれ、「依経段(えきょうだん)」と呼ばれる、第三句の「法蔵菩薩因位時」からの四十二句。その後は「依釈段(えしゃくだん)」と呼ばれる四十五句目の「印度西天之論家」から最後までの七十六句です。
「依経段」は、「仏説無量寿経」に沿って、阿弥陀仏の本願の由来と釈尊が「仏説無量寿経」を説かれた意味が述べられています。仏説無量寿経は、教行信証の「教巻」に「それ、真実の教(きょう)を顕(あらわ)さば、すなわち大無量寿経(仏説無量寿経のこと)これなり」とあることからもわかるとおり、浄土真宗の教えの中心をなす経典だと親鸞聖人は伝えています。
「依釈段」は、七人の高僧による本願の教えの解釈が述べられています。七人の高僧とは以前に説明したインドの僧の龍樹(りゅうじゅ)・天親(てんじん)の二人、中国の僧、曇鸞(どんらん)・導綽(どうしゃ)・善導(ぜんどう)の三人、日本の僧である源信(げんしん)・源空(げんくう)のことです。つづく

グラコム2010年10月号掲載

浄土真宗についてC

今回は、親鸞聖人が晩年になって創作した和讃(わさん)についてです。
「正信偈(しょうしんげ)」に代表される偈文(げぶん)は漢文のうただとお話しましたが、和讃は誰もがわかりやすいように和文で書かれたうたと考えてよいでしょう。親鸞聖人は五百数十首もの和讃を創っていますが、その代表的なものが三帖(さんじょう)和讃と呼ばれ、「浄土和讃」「高僧(こうそう)和讃」「正像末(しょうぞうまつ)和讃」からなっています。
和讃は一時期に完成したものではなく、修正等を加え長い年月を経て制作されたものです。また、当時の今様(いまよう)と言われる流行歌に影響を受け、四句一章、七五調に整えられています。つまり、たくさんの人々にその内容を理解してもらいたいという思いが伝わってきます。
「弥陀(みだ)の名号(みょうごう)となへつつ 信心まことにうるひとは憶念(おくねん)の心つねにして 仏恩(ぶっとん)報ずるおもひあり」「誓願(せいがん)不思議をうたがひて 御名(みな)を称する往生は 宮殿のうちに五百歳 むなしくすぐとぞときたまふ」
これは浄土和讃の最初の冠頭(かんとう)和讃で、和讃全体の趣旨を伝えていると言われています。本願を信じきるひとは常に仏のご恩を感じているが、本願を疑うひとは本当のお浄土に行くことができない。だから、疑いを持たず本願を信じきり仏の恩に感謝することが大切であると親鸞聖人はお伝えになっています。
「浄土和讃」は、浄土三部経を中心として阿弥陀如来の本願の世界とその世界に達するための道について。「高僧和讃」は、以前にお話しした七人の高僧の行いや著作について。そして「正像末和讃」は、末法の世にあって親鸞聖人自身が本願を信じ、念仏することで本当の自身が知らされ、またわかることで念仏し、たくさんの方々に広めようと思うことについて。そして「正像末和讃」にある三時讃の五十八首にあたるのが、門徒の皆様はよくご存じの「恩徳讃(おんどくさん)」であり、如来とお導きくださる方々への恩徳を讃えて結びにします。「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし」つづく