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宗教のいろはタイトル

グラコム2007年1月号掲載

大晦日(おおみそか)について

大晦日といえば除夜の鐘を連想する方が多いでしょう。そして除夜の鐘は百八回たたくのが一般的ですが、この百八は煩悩(ぼんのう)の数であると言われます。では、煩悩とは、そして百八の煩悩とは何なのでしょう。
煩悩とは「心を悩み苦しめるもの」のことを言います。人間が持っているものであり、自己中心的な考えとそれに基づく物事への執着から生じるものと言われます。仏教的な解説を簡単に加えると、欲しいものを手に入れたくなること(貪・とん)、腹を立てたり憎んだりする怒りのこと(瞋・しん)、真理を知らない愚かでわからずやのこと(痴・ち)、自分だけが正しいと思うこと(見・けん)、仏の教えを疑うこと(疑・ぎ)、傲慢(ごうまん)になってしまうこと(慢・まん)の六種類の根本煩悩とそれから派生する様々な煩悩の合計が百八あるといわれているのです。ただし、煩悩の数については様々な考え方があり、多い数で言えば六万四千もの煩悩があると言われています。
また煩悩は悪いことと考えがちですが、人間に煩悩はつきものだと考え、上手く煩悩とつき合うことが大切だと思います。自分勝手すぎることは社会ではたいへん問題だと思いますが、自分の煩悩にしっかりと向き合い、コントロールすることが大切です。煩悩のコントロールのためには、お仏壇と向き合い、灯火を見つめ、香を聞くことが最も好い方法であるとも言われています。
さて大晦日とは、旧暦の頃それぞれの月の最後の日を『』みそか(みそは三十の意)と言っていて、一年の最後の日はおおみそかと言っていたのです。ですから現在は十二月三十一日のことを指しています。また除夜といは、大晦日の夜のことを言いますが、もともとは一晩中寝ないで起きているという意味であったそうです。そして除夜の鐘は煩悩の数である百八回たたくところが多くありますが、その意味は、その音を聞きながら一年の罪を懺悔(ざんげ)し、煩悩を取り除き、清らかな心になって新しい年を迎えることなのだと思います。ぜひ、そんなことを思いながらよいお正月をお迎えになってください。

グラコム2007年2月号掲載

曹洞宗の教えについて@

今回からは曹洞宗(そうとうしゅう)の教えについてお話いたします。 曹洞宗はよく禅宗(ぜんしゅう)とも言われます。なぜでしょうか。そのことから少しお話をいたします。お仏壇をお持ちの方はご存知だと思いますが、お仏壇の中の一番上段に安置されているのが「本尊(ほんぞん)」です。それぞれの宗旨によって違うのですが、曹洞宗は「曹洞宗宗憲」によって「本宗は、釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)を本尊とし」とあるとおり、仏教を開いた釈尊(しゃくそん)を本尊としているのです。
ご存知のとおり、釈尊は一国の王子として生まれながらも、二十九歳の時に出家し、その後現在のインドにある菩提樹の下で禅(ぜん)(インドに古くからあった修行法で、思いを静め、心を明らかにして真理を悟るためのもの。禅定(ぜんじょう)とも言う。)をしているときに「悟り」を開かれ仏陀(ブッダ)になられたと言われています。そのため釈尊はこの禅を受け継ぎ、新しい意義を加えたものを仏教のなかで重要な要素としてとらえていました。
そのことを二十八代目の弟子にあたる菩提達磨(ぼだいだるま)がインドから中国に伝え、その後中国で禅宗として確率していったのです。その後前週は5つの宗として発展し、その中で日本に伝えられたのは、栄西()えいさいによって日本にもたらされた臨済宗(りんざいしゅう)、道元(どうげん)による曹洞宗、後に隠元(いんげん)によって広められた黄檗宗(おうばくしゅう)があります。その三つをいっしょにして禅宗と表現しているもので、禅宗という宗旨は日本にはありません。また、禅宗は前述したように釈尊が重要とした禅をその中心においている宗旨の日本での総称とも言えると思います。これで、曹洞宗をよく禅宗と言っている意味がお分かりいただけたのではないでしょうか。 (筆者は、宗派の専門家とは言えませんので、詳しくは、菩提寺の御住職にお聞きください。そばらしい人ばかりですので、わかりやすく教えてくださると思います。)

グラコム2007年3月号掲載

曹洞宗の教えについてA

今回は曹洞宗の教えのつづきです。
曹洞宗は前回お話をしたように、道元により日本に伝えられた宗旨であります。道元禅師は南宋の時代に中国に渡り、天童山景徳寺の如浄(にょじょう)と出会い、その法をついで、日本に曹洞宗を伝えました。そして、その四代目の弟子にあたる瑩山(けいざん)禅師により全国に曹洞宗が広められていったのです。そのため、曹洞宗では道元と瑩山の二人を宗祖とし、道元を高祖(こうそ)、瑩山を太祖(たいそ)といいます。また、道元の開いた永平寺(福井県)と瑩山の開いた総持寺(当時は石川県、明治の焼失を機に現在は神奈川県)を二大本山と称している宗旨です。
曹洞宗は只管打坐(しかんたざ)(ただひたすらに坐禅すること)し、即心是仏(そくしんぜぶつ)(坐禅の心とその姿がそのまま仏となること)を得ることを伝えている宗派であります。
ただひたすら坐禅をするという曹洞宗の坐禅は「黙照禅(もくしょうぜん)」と言い、何も考えず身も心も自分自身のすべてでただひたすら坐禅をすること。そのときに悟りを求めることすら考えないでということです。
そのこと自体が、仏になり悟りとなるということを教えているのです。
また、前回お話した禅宗と呼ばれている中の一つにあげた臨済宗はこれに対して、坐禅に際して、それぞれ与えられた課題(公案)を塾考することによって悟りに近づこうとするものであります。また、僧堂で坐禅する場合に壁に向かって坐禅をする(面壁(めんぺき)という)のが曹洞宗です。
つまり曹洞宗は、禅の心に裏付けられた日常生活を送らなければならないという教えであるとも言えるのではないでしょうか。
(筆者は、宗派の専門家とは言えませんので、詳しくは、菩提寺のご住職にお聞ください。素晴らしい人ばかりですので、わかりやすく教えてくださると思います。)

グラコム2007年4月号掲載

曹洞宗の教えについてB

今回も曹洞宗の教えのつづきです。
曹洞宗の教えについて、曹洞宗宗憲では「本宗は、修証義(しゅしょうぎ)の四大綱領(こうりょう)に則り、禅戒一如(ぜんかいいちにょ)、修証不二(しゅしょうふに)の妙諦(みょうたい)を実践することを教義の大綱とする。」と書かれてあり、この『修証義』は、多くの人にその家庭生活の正しいあり方を示すために、明治時代に道元禅師がまとめられた全九十五巻からなる教えである『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』の中から編集して作られました。
ここで言う禅戒一如とは、坐禅の心構えや態度を日常生活に生かしていくことが大切で、修証義に示された「戒を実践すること」が、そのまま「坐禅の修行」と同じことになるという道理のことであります。
また修証不二とは、修証は一つのことで二つではないといっています。修証とは、修行と証悟(しょうご)(悟りを得ること)の二つの言葉からできているのですが、それは修行を積み、その結果として、悟ることが出来るからだと言われるのですがそうではなく、修行と悟りは同一のものであり、悟りをめざして修行をするのではなく、修行の姿そのものが悟りであるということ、つまり大切なことは、日常の正しい実践生活であり、ただひたすら教えに耳を傾けて修行することであるという道理のことであります。
また、修証義は五つの章からなり、第一章の総序(そうじょ)を除いた第二章から第五章までの四つである、懺悔滅罪(ざんげめつざい)・受戒入位(じゅかいにゅうい)・発願利生(ほつがんりしょう)・行持報恩(ぎょうじほうおん)を四大綱領と呼んでいるのです。
(筆者は、宗派の専門家とは言えませんので、詳しくは、菩提寺のご住職にお聞ください。素晴らしい人ばかりですので、わかりやすく教えてくださると思います。)

グラコム2007年5月号掲載

日蓮宗の教えについて@

今回からは、日蓮宗(にちれんしゅう)の教えについてお話します。
日蓮宗は、日蓮聖人(にちれんしょうにん)を宗祖として、「法華経(ほけきょう)」が唯一成仏の法であると説かれた宗派であります。
簡単に言えば、久遠(くおん)の釈尊の教えを信じ、その救いを示す大曼荼羅(だいまんだら)の本尊に心から帰依し、私たちが、南無妙法蓮華経のお題目を唱えて、平和と幸福の実現に向かって精進し、成仏を願うことではないでしょうか。
日蓮宗の教えは、中国天台宗の開祖と言われ「法華経」を最重要経典として位置づけていた天台大師知ー(ちぎ)が築いた仏教体系を基盤にしています。「法華経」は紀元1〜2世紀につくられ、漢訳で鳩摩羅什(くまらじゅう)訳の「妙法蓮華経」(八巻二十八品)がもっぱら用いられています。「法華経」は伝統的に、前半が統一的真理(一条妙法)を明かした「迹門(しゃくもん)」、後半が永遠の仏(久遠の釈尊)を明かした「本門(ほんもん)」という構成になっています。天台宗が「迹門」に重きを置いているのに対して、日蓮宗は「本門」に重点を置き、「第十六如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)」を「法華経」の中心と定めています。
そしてその最も基本となる教えと実践が「五義」と「三大秘法」です。この二つについては、この後順次お話をいたします。
日蓮聖人は、あくまで仏法の真髄を極めることが目標だったため、当時の法華経をないがしろにしている他宗をきびしく批判し、法華経こそが末法の凡夫のための慈悲と救いの経典であり、幾多の法難に遭っても力強く布教を続けました。
(筆者は、宗派の専門家とは言えませんので、詳しくは、菩提寺のご住職にお聞ください。素晴らしい人ばかりですので、わかりやすく教えてくださると思います。)

グラコム2007年6月号掲載

日蓮宗の教えについてA

今回は、日蓮宗の教えのつづきです。
前回お話した、最も基本となる教えと実践である「五義」と「三大秘法」のうち、今回は「五義」についてお話しします。
五義とは、法華経こそが末法に生を受けた私たちの救いのために説かれた経典であることを論証したものです。それは、仏の教えの中で最高のものは何かを知る「教」、人々の教えを受ける能力を考える「機」(機根=人間のありかた)、今の時代はどのような時代なのかを判断する「時」、その国の宗教的条件を考える「国」、仏教弘通(ぐつう)の歴史と現状を見て広まるべき教えを明らかにする「序」(教法流布の先後=順序)の五つの基準をもって真実の教えを選択するということです。
「教」…様々な宗教・思想等の中から、仏教が私たちの救いを示す宗教として一番であることを確かめ、八万四千もの経典があると言われている中で、法華経が最も優れていたこと。
「機」…当時、末法の世である日本の衆生は下根(げこん)(教えを受ける能力が劣っていること)であると言われていましたが、その時こそ法華経が説かれなければならないこと。
時」…法華経は末法にこそ、力を発揮するように説かれていて、「選ばれた時」であったこと。
「国」…古来より法華経はインドより東北にある国に縁が深く、仏教の伝わった経路から考えて、日本が最もふさわしかったこと。
「序」…仏教が説き広められてきた順序や歴史から考えて、当時の日本では法華経を広める状況にあったこと。
以上のことから日蓮聖人は法華経が仏の真実を言い表した唯一のものだと結論づけたのです。
そして、末法の世に法華経の教えを伝えるために釈尊から遣わされた大導師とされているのが、日蓮聖人であったと言うことです。
(筆者は、宗派の専門家とは言えませんので、詳しくは、菩提寺のご住職にお聞ください。素晴らしい人ばかりですので、わかりやすく教えてくださると思います。)

グラコム2007年7月号掲載

日蓮宗の教えについてB

今回は、日蓮宗の教えのつづきです。
前にお話した、最も基本となる教えと実践である「五義」と「三大秘法」のうち、今回は「三大秘法」についてお話しします。
末法の凡夫を救う唯一の教えは、本門寿量品(ほんもんじゅりょうほん)の教えに包含されている「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」の七文字であり、これを信仰するための規範として三大秘法を明らかにしたのです。その内容とは、三つの根本的法門で、一つは「本門(ほんもん)の本尊」であり、私たちが信仰の対象として仰ぐ尊いものであります。二つめは「本門の題目」で、「南無妙法蓮華経」のことです。また三つ目は「本門の戒壇(かいだん)」で題目を唱える私たちと仏とが出会う場のことです。
「本門の本尊」とは、久遠実成(くおんじつじょう)本師釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)のことで釈尊のことであります。その釈尊による法華経の救いの世界を表したものが大曼荼羅(だいまんだら)です。中央に南無妙法蓮華経と大書し、左右に釈迦牟尼仏をはじめとした諸仏・諸菩薩・諸善神等の名を記したものを言い、それを本尊の形式としています。
「本門の題目」とは、南無妙法蓮華経の七文字ことであり、この中には釈尊のすべての功徳(くどく)が内包されており、末法の凡夫を救う大切な教えであります。そして、凡夫である私たちがこの七文字を唱えることにより、法華経の教えに近づくことができるのです。
「本門の戒壇」とは、本尊に向かい題目を唱える場所のことを指しますが、日蓮聖人が理想としたことは、私たちの心の中にそれぞれの戒壇を確立し、すべての人々を救いたいということだったと考えられています。
(筆者は、宗派の専門家とは言えませんので、詳しくは、菩提寺のご住職にお聞ください。素晴らしい人ばかりですので、わかりやすく教えてくださると思います。)

グラコム2007年8月号掲載

提灯と盆踊り

お盆の季節です。みなさまよくご存知の通り、お盆は『盂蘭盆会(うらぼんえ)』といい北見周辺では、八月十三日から十六日までの期間を指します。(一部、七月の所もあります。)簡単に言うと、十三日にお墓参りや仏壇の掃除をすませ、夕方に迎え火をして、先祖の精霊を迎えます。そして十六日までの間は、家族で先祖の精霊とともに過ごし、僧侶をお迎えして読経していただき、追善供養をし、十六日には送り火を焚いて精霊を送り出す。という行事であります。
この地域では、本州に昔から伝わる慣習の中でも、精霊棚を仏壇の横に飾ることはほとんどありません。また、迎え火、送り火(皆様ご存じの京都の「大文字焼き」も大がかりな送り火の一つであります。)は、精霊が迷わずその家庭に戻るための一つの行いですが、それを行っているご家庭も少ないと思います。ずいぶん簡略化されたお盆の行事ですが、先祖に心からお参りし、感謝をすると言うことだけは忘れないで欲しいと思います。
ただ、盆提灯を飾るという習慣は、この地域でもまだ続いています。
前述した事柄のうち、盆提灯には「先祖の霊が道に迷わないように灯す」といういわれがありますので、迎え火、送り火の代わりや、お盆の意味合いを感じ取り、家族が集いご先祖を供養し、なくなられた人をしのぶ習慣の一つとして今後とも続いていくことを期待しています。
さて、皆様はご存じでしたか。お盆に各地で行われている「盆おどり」でありますが、この踊りも元々は仏教行事だったようです。平安時代の空也上人によって始まったと言われている念仏踊りが起源ではないかと言われています。その後、お盆の行事と結びつき、精霊を迎える、なくなられた人を供養するためのものとなり、室町時代には、太鼓などをたたいて踊るようになりました。そして、時代とともに宗教的意識はなくなり、民衆の娯楽として各地で発展してきたものが現在の「盆おどり」であると言われています。

グラコム2007年9月号掲載

秋の彼岸と六波羅蜜

夏の暑さも和らぎ、朝夕には涼しさを感じるようになるのが秋のお彼岸。諸寺では九月二十三日の彼岸中日に彼岸会法要が開かれます。お彼岸は昼と夜の時間がほぼ同じになり、太陽は真西に沈み、その方向には極楽浄土があると信じられています。仏教ではこの悟りや浄土の世界に近づくことを目指して、日々精進することを教えていますが、その方法の一つとして『六波羅蜜(ろくはらみつ)』の実践があげられます。波羅蜜(はらみつ)とは彼岸に至ることを意味し、そのために六つの実践が必要であると説かれています。
一・布施(ふせ)…人への施し。財物を施す財施(ざいせ)、教えを説き施す法施(ほうせ)、恐れを取り除き安らぎを与える無畏施(むいせ)の三施。布施をする側もされる側も清浄な心でなくてはなりませんね。
一・持戒(じかい)…戒律(修行するときの規律)を守ること。戒には五戒と十戒があり、戒律を守り、正しい生活をすることで自分自身を高めることが必要だということです。
一・忍辱(にんにく)…侮辱や迫害に耐え、怒りの心を起こさないこと。つまり、愚痴や不平不満などを言わずに誰にでも寛容な心を持つことが大切であるということです。
一・精進(しょうじん)…たゆまず努力をすること。つまり、心身を精励し、他の五つの波羅蜜を修行することです。
一・禅定(ぜんじょう)…精神を統一すること。心静かに瞑想し、真理を観察すること。静かな心で世の中をじっくりと見ることによって本当の姿が見えくるのです。
一・智慧(ちえ)…真実を見極めること。単なる知識だけで物事を考えるのではなく、迷いを断ち真理を見極める洞察力を持つことです。
このような話だと難しく感じる人が多いと思いますが、なるほどと思うことも多いのではないでしょうか。心を静めて、秋のお彼岸にこのようなことを考えるのも良い機会ではないかと思います。

グラコム2007年10月号掲載

お仏壇について@

今回からは連載で、お仏壇のことについて簡単に触れてみたいと思います。
お仏壇のはじまりについては、今から千三百年前ほどむかし、天武天皇の時代に「家ごとに仏舎をつくり、仏像・経典を安置して礼拝せしむ」と諸国に命じたことがはじまりだといわれ、当時の貴族はこぞって持仏堂を建て、それが仏壇の原型だといわれていますが、しかしこの頃は一部の有力者のみのものでありました。
今のように仏壇が一般的に家でおまつりされるようになったのは、それから千年近く経った江戸時代の寺檀(じだん)(檀家)制度以後だと言われています。その制度というのは、江戸幕府がキリシタン禁制のための一つの手段として、家ごとにお寺に所属(そのお寺を菩提寺(ぼだいじ)として、そのお寺の檀家となった)しなければならなく、所属した人がキリシタンでないことを証明させたものです。
さて、お仏壇の形成についてでありますが、そもそも日本においては、家の中に様々な形で氏神様や祖先をまつる祭壇を置く習慣がありました。
その後、室町時代に「書院造り」という住宅様式が出来たことと、従来から置かれていた祭壇が仏様をまつることと結びついて「床の間」として普及し、そこに仏軸をかけ、花立て・香炉・燭台を置き、手を合わせておまいりしました。それが神様をまつる神棚と仏様をまつる仏壇になったと言われております。
その後、お仏壇はそれぞれの宗旨のご本尊を祀りし、仏教の教えに触れ、自分を見つめ直す場所であるとか、家族の心のよりどころの場所として現在に至っています。
お仏壇は現在、大別して「金(きん)仏壇」と「唐木(からき)仏壇」に分けられます。「金仏壇」とは、吟味された部材に漆塗りが施され、内部に金箔が張ってある仏壇のことをいい、「塗り仏壇」とも言われています。「唐木仏壇」とは、黒檀・紫檀・花梨などの高級材料を使い、その美しい木目を生かしたお仏壇のことをいいます。唐木とは、昔、中国の唐を経て渡来したことからその名がつけられていますので、由来としての材料は、紫檀・黒檀・鉄刀木(タガヤサン)などの日本では産出しない重硬な材料のことを指していたようでありますが、現在は国内で算出される良質な材料で作られているお仏壇も多く見受けられるようになりました。
つづく

グラコム2007年11月号掲載

お仏壇についてA

お仏壇のことについての2回目です。
今回は、お仏壇の中におまつりするものの中で一番大切なご本尊について簡単に触れてみます。
ご本尊はお仏壇の最上段の中央に安置いたします。ほとんどのお仏壇には須弥壇(しゅみだん)という台を形取ったところの上にご本尊を安置できるようになっています。
これは皆様の菩提寺のご本堂に行ってみるとわかるとおり、お寺の本堂にあるご本尊が安置されている場所を簡単にお仏壇の中に再現したものであります。つまり、お仏壇は、お寺のご本堂を自宅に再現させたものといわれ、本堂にある様々なものを凝縮して、あるいは簡略化して、家庭で毎日使うことが出来るようにしてあるのです。そして各宗派のご本尊とその左右の脇に配置するお仏像および絵像(掛軸)については一般的に左記の通りであり、お仏像か掛軸どちらがよいのかについては宗派等によっても異なりますし、それぞれの宗派で形が違います。また、大きさについてはお仏壇にあったものを安置するようにしましょう。お仏壇をお持ちの方もぜひ一度ご自宅のお仏壇を確認し、ご住職が訪問されたときに、ご本尊や脇侍のお話をお聞きになってみるのも良いと思います。
宗教のいろは0711画像

グラコム2007年12月号掲載

お仏壇についてB

お仏壇のことについての三回目です。
今回は、お仏壇の中にお飾りする仏具の中で、どの宗派にも使用するものについて書いてみます。宗派によってお仏壇の中に飾る仏具の種類や形、そして飾り方等はそれぞれ異なりますが、どの宗派にも使われるものがあります。それは、「香炉(こうろ)・花立て(はなたて)・火立て(ひたて)・りん・仏飯器(ぶっぱんき)」です。まずは、「香炉・花立て・火立て」の三つでありますが、聞いたことがある方もいらっしゃると思いますが、これらを合わせて「三具足(みつぐそく)」と言います。
香炉ではお香を焚きます。お線香だったり、焼香だったりします。「香は信心を運ぶ使い」とも言われ、香を焚くことは心を浄め、御仏(みほとけ)や亡きご先祖に自分の真心をささげて供養するものであり、よりよい香りのものを用いることが大切だと言われます。
花立てにはもちろんお花を飾りますが、私たちはお花を見ることで心が和むものです。「御仏の慈悲の象徴」と言われ、御仏が姿を変え慈悲の心を説いてくれると言われます。また「堪え忍ぶことの象徴」とも言われ、種の小さく目立たない存在が、水や養分によって来るべき時がきたら華やかに花を咲かせることや、自らは動かず耐えながら種を絶やさずに生きている姿などから、そのように言われています。
火立てにはろうそくを灯します。ろうそくは灯明(とうみょう)とも言われ、どんな暗闇でも照らす御仏の智慧(ちえ)を表し、その智慧がたくさんの煩悩に惑わされながら生きている私たちを導いてくれると言われています。
このように大切な三具足の他に、お経をあげるときに使われる「りん」があります。お経をあげるときの節目で鳴らし、息を整えお経を唱えます。一般に多くの方は、お経を唱えなくても「りん」を鳴らし、合掌してお仏壇におまいりしているのではないでしょうか。
最後に仏飯器でありますが、日本の食文化にも関係があると考えられていますが、私たちの主食であるご飯をのせてお供えするもので、どの宗派でも必ずお供えします。
前述したものはすべての宗派に使用するもので、仏具の中で一番の基本となるものであります。ぜひ、おぼえておいてください。 つづく