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宗教のいろはタイトル

グラコム2004年5月号掲載

仏教の伝来について

日本に仏教が伝わったのは、『日本書記』によると五百五十二年とあります。しかし、それよりも早く五百三十八年に朝鮮・百済(くだら)の聖明王(しょうめいおう)の使者が経典や仏像を欽明(きんめい)天皇に献上したという説が有力です。
しかし、中国や朝鮮とはそれ以前にも古くから交易があったので、民間ではそれ以前に伝わっていたようであります。そしてもともと仏教には宗派はなかったのですが、教義や儀式・行事などの違いから宗派が誕生しました。
宗派の「宗」は、教団の思想的な分類、「派」はその宗内での分派のことを意味します。
その宗派をもとに現在までの歴史をたどると、奈良時代に中国から南部六宗といわれる六宗が伝えられ、法相(ほうそう)・華厳(けごん)・律(りつ)宗が現在も残っています。平安時代には日本仏教のどだいとなる天台宗・真言宗が誕生。鎌倉時代に入って、融通念仏宗・浄土宗・浄土真宗・時宗が誕生、臨済宗・曹洞宗・日蓮宗もこの時代に誕生しました。その後、江戸時代の黄檗(おうばく)宗が仏教での最後の新宗となりました。
現在でもご紹介した十三宗にほぼ集約されています。
また現在、北見市にある宗派で北見市仏教会に所属しているところは、七つの宗派があり、曹洞宗・日蓮宗・真言宗・智山宗・真宗興正派・真宗大谷派・浄土真宗本願寺派の各寺十八ヶ寺あります。
現在、この仏教を身近に感じるのはお葬式の時ぐらいではないでしょうか?難しくて近寄りがたいと思っている人が多いのでは?
しかし、仏教は遠い存在ではなく、生きている私たちが幸せになるための教えであり、「仏の自覚を持って生きる教え」とも言えます。難しく構えないで、自然体で接してみると、今の自分の新たな発見ができるかもしれませんね。

グラコム2004年6月号掲載

お経とはなにか?

仏教のお経(経典)とは、キリスト教の聖書やイスラム教のコーランのようにその教えの根本精神を説いたものといえます。
ただ、聖書やコーランが一冊の本にまとめられているのに対し、仏教の経典は「八万四千の法門」と言われるように実に膨大な量があるのです。
この経典のはじまりは、釈尊(釈迦)の生存中や入滅後しばらくは、説法は文章化されていませんでした。それは当時のインド人が文字を使用していなかったことから、人から人へと暗唱によって伝えられていました。
しかし、釈迦が入滅してから、仏教が盛んになりいろいろな派が出来てくると、文章として残しておく必要が生じ、経典が出来ていったのです。
これらの経典は大きく分類すると三つに分けることが出来ます。
仏陀の説法を記した経(スートラ)、仏弟子として守るべき戒と律(ヴィナヤ)、教理の研究書である論(シャーストラ)の三つです。
これらをそれぞれ集約したものは経蔵、律蔵、論蔵と呼ばれ、これを三蔵といっています。ご存知の三蔵法師というのは、この三蔵すべてに精通した僧に対する敬称なのです。
さて、私たちが法事や葬儀のときに聞くお経は、その意味がさっぱりわかりませんよね。経典を見てもそうですね。それは経典の多くが中国語で書かれてあるからなのです。平安時代に日本語に『かな』が生まれ、現在まで発展してきたのと違い、平安時代末まで庶民化しなかった仏教では、そのままの形で残っているのです。
代表的なお経をあげるならば、名前だけならどなたでもご存知であろう、『般若心経』というお経は、たった二百六十二文字ではありますが、今ある日本の仏教のエッセンスを凝縮しているお経なのです。

グラコム2004年7月号掲載

お盆とお中元

皆様もご存知でしょうが、北見周辺の市町村では、網走市や一部の地域が七月にお盆を迎えます。北海道は大半の地域が八月にお盆の行事を行いますが、これは旧暦(太陰太陽暦)の七月にあたるものであります。
なぜ、2つに分かれたのかというと日本が明治六年から現在の暦「太陽暦(グレゴリオ暦)」に切り替えたときからと言われています。つまり、言い換えるとお盆の行事は七月に行われるものと言えます。
さて、お盆のことを正しくは『盂蘭盆会(うらぼんえ)』といいます。仏教の経典の一つである『盂蘭盆会』には、釈迦の弟子の目連(もくれん)の母が死後、餓鬼(がき)道(どう)(地獄の次につらく苦しい世界)に堕ちて苦しんでいるのを知り、釈迦に相談したところ、夏も修行を終えた時期に僧侶たちにご馳走をすればその功徳で母も救われるであろうと説き、そのとおりにしたところ、彼の母は救われたということです。
この言い伝えからお盆には祖先の霊を供養し、墓に野菜や果物を供え、僧侶に食事を供すようになったといいます。
また、中国では、七月十五日を「中元」といい一年の無事を祝って盛大な祭りが行われていました。
このこととインドから伝えられた盂蘭盆会の風習などがミックスして亡くなった先祖の供養をする日になったと言われています。
その後、この風習が日本に伝えられ、江戸時代には七月十五日をはさんだ四日間をお盆の期間に定めたと言われています。(諸説あり)
皆様がよく知っている行事のお中元とお盆とは関係が深かったのですね。
そして、江戸時代の頃から中元を前にした旧暦で言う七月八日から十三日までの間に、両親に様々な贈り物を持って帰り一緒に食事をするような習俗が生まれたそうであります。 それが発展した形で、現在も行われている「お中元」の習慣として定着したと言われています

グラコム2004年8月号掲載

数珠(じゅず)『念珠(ねんじゅ)』と合掌(がっしょう)

数珠の起源は古く、温度では紀元前五世紀に仏教が興る以前から、バラモン教で盛んに用いられていたと言われています。釈迦の時代に数珠を使ったという記録は見つかっていません(諸説あり)が、後に数珠の効用を説いた「木げん子教(もくげんじきょう)」というお経が作られ、煩悩(ぼんのう-心の迷い)を断つために百八個の木げん子(ムクロジ科の落葉高木)の種子を連ねたものを、肌身離さず持って、常に仏法僧(ぶっぽうそう)を念ずればその功徳は絶大であると説かれています。
その後、この経典が中国で翻訳され、数珠が盛んに用いられました。そして、日本にも伝えられ仏教の必携のものとなっていきました。
ですから、数珠の珠の数は百八個が基本となっているのです。しかし、今ではさまざまな種類と数の数珠があり、その意味合いも使い方も宗派によって異なりますが、今でも仏教徒には必携のものであります。
この数珠を使うときというのはどんなときが多いでしょう。そうですね、合掌するときによく使います。
それでは合掌とはどのような意味を持っているのでしょうか。仏壇に向かったとき、あるいは寺院にお参りするときには、両手のひらを合わせ、目を閉じて静かに礼拝しますよね。これが合掌です。仏教では右はほとけの手、左は自身の手であるといわれ、両手を合わせ合掌する姿は仏に帰依し、仏に救われていく姿なのです。
言い換えれば、仏の心と私たちの心が、この「合掌」をとおして固く結び合っているともいえます。
食事のときに「いただきます」「ごちそうさま」をするときにでも手を合わせて合掌する家は少なくなったといわれます。目を閉じ背筋を伸ばして合掌すると心が静かな気持ちになります。
そんなちょっとしたことが、現代の殺伐とした社会の中では必要なことではないのでしょうか?
とにかく数珠と合掌は仏教の世界の中では切っても切れない大切なことのひとつとなっているのです。

グラコム2004年9月号掲載

戒名(かいみょう)法名について

戒名(かいみょう)とは何でしょうか?
わかりやすく説明すると、戒名とは釈尊(お釈迦さま)の教えを守って生きていくことを約束した人に授けられる名前のことであります。つまり生前に与えられる仏門の名前といえます。
現在では、生前に戒名・法名を受けられる人は少なく、亡くなられた時に、菩提寺のご住職からつけていただくことが多くなっているのは皆様もご存知のとおりです。戒名というのは前述した通りの意味を持っているので、亡くなった人につける名前でなないことをしっかりとご理解いただきたいと思います。
また、亡くなられた人に対して戒名を与えることは、室町時代からはじまり、江戸時代に定着したといわれています。
この戒名については、現在ある宗派によって多少つくりが異なっています。
さて、先ほどから法名という言葉が度々出てきていますが、浄土真宗では戒名とは言わず、法名といいます。なぜなら、その教えの中にさまざまな戒律を守らなくてはならないということが説かれていないからです。
つまり、仏教に帰依して仏弟子となったひとすべてに授けられる名前であり、すべて二文字で男性では上に「釋」、女性は「釋尼」の字をつけます。また、この法名の上によく見かける「○○院」の称号(院号といいます)ですが、寺院の護持発展に功績のあった方に授与されるものであります。
また、日蓮宗では一般的には法号と呼ばれています。その他の宗派は戒名と言いますが、浄土真宗の場合は「譽(よ)」の文字、日蓮宗では「日」の文字をほとんどの戒名に使用します。戒名の構成はおおよそ次のようになっています。
「○○院△△□□居士霊位」の場合
「○○院」→院殿号
「△△」→道号
「□□」→戒名
「居士」→位号
「霊位」→下文字

グラコム2004年10月号掲載

神道の教えと歴史について@

神道は、自然を象徴する神々と日本人の先祖をまつる日本固有の宗教であり、日本は神道と仏教の両輪により、非常に豊かな宗教土壌をつくりあげてきました。多くの家庭では神棚と仏壇の両方をまつりますが、これは日本の宗教の伝統をそのまま反映したものといえるでしょう。神棚をおまつりすることには太陽や海、山、川をまつり、自然の恵みに感謝することであり、神話の時代から続く日本人の歴史と祖先に感謝することとも言えるでしょう。神道は仏教の釈迦やキリスト教のイエスのような創始者がいるわけではなく、仏像のように念仏の対象を作ることもありませんでした。
そうした中で神道がご神体としてきた代表的なものは木や石、川や山であります。(例をあげると、浅間神社のご神体は元来富士山であり、熊野那智大社は那智の滝をご神体としています。)つまり神道では、自然そのものが祈りの対象であり、自然の中に神を感じるものでありました。朝日に向かって拍手(かしわで)を打つ、山の霊気に触れて神に祈る、川に入って身を清める。という行いが神道の祈りということになります。また、ご神体が恒常的におまつりされるようになったのは祖霊のまつりが行われるようになってからであります。
神道が神殿を持ちご神体をその中におまつりするようになったのは仏教の影響であるといわれています。その神社祭祀のなかでも特に重要とされているのが鏡・剣・曲玉(まがたま)の三つです。「鏡」は物を映すことから神秘性の高いものとされ、太陽の象徴でもあり、邪悪なものを跳ね返す神器であり、邪を払う役目も担っています。「曲玉」は玉が魂と同音同義であることから、命を象徴するものとされています。また、曲玉の湾曲は人の心臓をかたちどっているとも言われています。

グラコム2004年11月号掲載

神道の教えと歴史についてA

神道の土台は、『日本書紀』『古事記』に記されている神話によって作られています。神話の中心は皇室の祖先が日本を作る話であり、皇統(皇室の流れ)の話でもあるために、戦後、日本の教育の中では積極的に教えられることがありませんでした。しかし、この神話が日本人のルーツを紐解く話であることに変わりはないのです。
日本を生み出したのは伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)。その子どもが天照大神(あまてらすおおみかみ)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、月読命(つきよみのみこと)の三神であります。自然神としての正確はこの三神によく現れており、「あまてらすおおみかみ」は太陽を「すさのおのみこと」は滄海を、「つきよみのみこと」は夜を司ります。
太陽である「あまてらすおおみかみ」が天の岩戸に隠れたときに世の中が暗くなったという神話はよく知られています。「あまてらすおおみかみ」中心とする神々の系統を天神(あまつかみ)と呼ぶ。天神は高天原に座す神々のことで、後で日本に降り立ち支配する。その時、国を譲るように言われたのが「すさのおのみこと」の子孫である大国主命を中心とする国神(くにつかみ)である。(国譲り)。つまり日本の神々には統治者としての天神と統治される側になった国神の二系統があることになります。
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グラコム2004年12月号掲載

お正月について考える

「お正月」は皆様はどう考えていますか。一年の始まりとしてしかとらえていない人がほとんどではないでしょうか。正月というのは、地域によって呼び方は異なりますが、「正月様」と呼ばれている神様が、各自の家庭に帰ってこられ、それをお迎えしてまつることが正月の行事であります。(諸説あり)
この「正月様」は、ご先祖様。正月はご先祖様が各自の家にお戻りになってくるのを迎えます。つまり、各家が祭場になり、その準備を始めるのが、十二月十三日の事始めの日なのです。今は、その日は大掃除の日と思われがちですが、本来は違うのです。その日から物忌(ものいみ)(食事や外出、面会などを慎み、心身を清める)、潔斎(けつさい)(神仏をまつる前に酒や肉などを断ち行いを謹んで心身を清浄にする)を始めます。
また昔は、天・地・人の一日と言い、一日の始まりを三つに分けて考えていました。天の一日は、真夜中の十二字が始まり。地の一日は、夕暮れが始まりとし、人の一日は夜明けが始まりと考えていました。そして、ほとんどの宗教行事は地の一日によって行われます。
つまり大晦日は、十二月三十一日の夕暮れから始まるのです。お正月というのは神道の行事に由来し、「神人共食」、つまり神様と人間が一緒に食事をすることという考え方です。神道の行事では、神様と家族がそろって食事することを非常に大切にしているからです。神様(ご先祖様)と一緒にいただくので、お正月に使うお箸は両側が細く丸い柳箸(やなぎばし)を使うのです。これは一方で神様(ご先祖様)がお食べになるからです。
また、お雑煮というのは神饌(しんせん)(神様へのお供え物)を下し神様からのお下がりとして、ごった煮にして食べるというのが由来であります。また、鏡餅には「お正月様」の魂が宿っていると考えられていて、鏡開きというのはその魂をいただいてリフレッシュするための行事であったのです。こう考えると「お正月」という行事も、しっかりした考え方によって成り立っていることがわかると思います。
太陽であり「あまてらすおおみかみ」が天の岩戸に隠れたときに世の中が暗くなったという神話はよく知られています。「あまてらすおおみかみ」中心とする神々の系統を天神(あまつかみ)と呼ぶ。天神は高天原に座す神々のことで、後で日本に降り立ち支配する。その時、国を譲るように言われたのが「すさのおのみこと」の子孫である大国主命を中心とする国神(くにつかみ)であり。(国譲り)。つまり日本の神々には統治者としての天神と統治される側になった国神の二系統があることになります。